2010/11/30 (ふゆさんご) はじめて

練習を2本したあとに
意外な番号から電話がかかってきて
びっくりして携帯をふっとばす。
そんなにたいしたことではなかった。
これからお世話になるお店に
ごあいさつに行く会
先週は行く前にのみすぎてしまい
ごあいさつを断念したというのに
またこりずに前もってのんでいる。
ひさしぶりの組み合わせで
しみじみたのしくてわらってばかりいた。
今回はちゃんと
目的のお店にもたどりつくことができて
つくっていただいたかぶのソテーが
ものすごくおいしい!
おもわずおかわり。
いっしょにいたひとたちのおかげなのか
初めての気がしない
みょうに違和感のない場所。
次の演奏の構想を練る
あたらしいとびらをひらこう。
夜中にyoutube交換大会をする
それぞれに得意分野があって
だれとやってもおもしろいものだなあ。
イエス!



2010/11/29 (ふゆさんご) こわれる

サドルの次は
くつがこわれてしまいました。
やっぱりくつは
あんまり安物はだめなのだなあ。
もともとすごくくちがわるくて
いきおいでしゃべると
びっくりするようなひどいことばが
どんどんとでてくる。
そしてあとでがっくりとくる。
おとなになったせいなのか
もう落ち着いた気がしていたのに
最近すっかりまたくちがわるい。
ものすごい眠気とともに日中をすごす
昨日元気のなかったひとのことが
ちょっと気になっている。



2010/11/28 (スイートガーリック) ちがさき

茅ヶ崎という場所は
むかし伯父さんが住んでいて
たまに遊びに行くたびに旅行だったから
ずいぶん遠い場所だったのだけれど
いまではすっかりよく行くところに。
着くなりビールをぐいぐい
アンパンマンとアメリカドラマで
みょうなもりあがりをみせる。
今日は飛び入りゲストふたりをむかえて
豪華にやってみた。
むかえる側としては
おちついたいっぽんの線をたもって
やれたらいいのかもしれない。
コーナーショップでは
3さいのこどもにもっていかれた。
bob marleyがだいすきで
日本語もままならない舌足らずで
英語のうたをどんどんうたうし
決め顔もする
拍手をもらったらおじぎもする。
こどもにはまいるなあ。
藤沢に移動すると
ライブ帰りのあのひとに遭遇
たった4曲の演奏でちからが余っているらしく
いつもにもましてすごい勢い。
ついには一曲うたってくれた。
目にくるつよいお酒をのんで
まばたきをしぱしぱ。
たくさんうたってしゃべって電池切れ。



2010/11/27 (つわぶき) がっしょう

あっちこっちへ連絡をして
もうあたまがぐるんぐるん。
師走が近づくにつれ
あたりまえのようにがしがしと
毎日の予定が埋まっていく。
毎年そうなのだ
ぎりぎりまでなんにも起きないのに
急にどかどかせまってくるので
あわててからだをたてなおす。
とにかく時間をみつけて
プラネタリウムにいかなくちゃ。
夜は合唱の練習
そういえばわたしは学生のころ
合唱のときはかならず
伴奏ばかりしていてうたっていなかった。
あのときは理由があって
伴奏はおこられないからだった。
でも合唱のときはやっぱり
うたをうたわないと!
くり返し練習をするうちに
どんどんそろってくる
やっぱり練習なのだ。
くりかえしやることの意義をかんじる。
それにしてもたのしみだなあ
むねがどきどきします。



2010/11/26 (マネッチア) サドル

じぶんのことはもういい
とそのひとは言った。
年齢のせいもあるのかもしれないけれど
わたしはとうていそうなれないのに
最近このせりふをよくきくなあ。
きっと音楽は
そこにぱっと浮かんでは消えてしまうくせに
のこしてつたえていくものなのだ。
昨日の夜サドルが消えて
今日の午後帰ってきた。
奇跡の生還だった。
見つけたときには胸がどきーっとして
文字通りとびあがった。
けれども
すっかり根元の金具がこわれていて
これはまた時間の問題という気がする。
小さい頃、足がつる
ということばと
じっさいつっている痛みがべつべつで
あるとき急に
そうか、前から感じたことのあるこの痛みは
足がつってるっていうのか!
となったことがある。
ほかにもいくつか似たようなことはあって
ことばと感覚がかみあう瞬間。
胸が痛い
というのも
じっさい痛いというよりはむしろ
このへんがもやもやする
というかんじだよなあ。



2010/11/25 (パンパスグラス) このひ

ついにこのときがやってきて
まっすぐなうたをつくりたい。
ずっとぼんやりしたうたを書いてきた
それもひとつのかたちだけれど
いまはきっとそうじゃない。
どうやってやるのかわからないけど
とにかく書くのだ!



2010/11/24 (ネリネ) げんぞう

最近になってやっと
ここにおねがいしよう
とおもう写真屋さんがみつかった。
わたしはただ撮って見かえすだけの
趣味とも呼ばない写真をとるけれど
こうなるといいな、というのはあって
このところはどこへいっても
ばきばきに現像されることが多いので
とってもこまっていたのだった。
そこは昔からある写真屋さんで
駅前のおおきな交差点にでんとあった。
開発がはじまったあとは
おおきなビルのテナントとして
そっとはじっこに移っていた。
急におもいだして行ってみると
おじさんがひとりでやっている。
おばさんはどこへいったのだろう。
あまりにもちゃっちいカメラで
ざくざくてきとうに撮っているので
毎回チェックが入る。
全体的に、暗いねえ!
だとか
ずいぶんふるいフィルムじゃないの、赤いよ
だとか。
すべてわたしの責任です。
これを機にわたしの腕も
すこしはあがってくれるといいのだけど。



2010/11/23 (ペリストロフェ) まよい

しばらく時間がたつと
今日いちにちのざわめきがうそのように
気持ちがしずかになっている。
ひとのことばをたよりにするのは
どうみても、よくない
とあたまではわかっているけれど
正直なきもちを言う
ただそれだけのことが
とことんできないときもある。
寺尾聡さんの顔はすごい
もれなくあのリフがついてきて
あたまのなかに流れる。
たとえ武士のかっこうをしていて
真顔で刀をかまえていようとも
気を抜くとああなってしまうのだ。
ものすごいことです。



2010/11/22 (アングレカム) motion blue

丸窓をのぞくと
満員のお客さん!
ほんとうにうれしかった。
ステージからみるみんなの姿
だれもがとてもたのしそうで
こちらはもう胸がいっぱいなのだけど
あたまはどこかきーんと澄んでいて
すごい集中力で音をだした。
たぶん全員がそうだった。
これははじまりの夜
嘉風くんがこころをこめて
長いあいだつむいできた音楽の
ひろいところへとんでいく
はじまりの夜なのだと
こころからしんじている。
それにしてもお肉の下にしいてある
マッシュポテトがあまりにもおいしかった。



2010/11/21 (ガーベラ) 逗子

おともだちが逗子にひっこしたので
逗子で飲み会がひらかれた。
改札で見送ってくれたふたりが
むこうがわにいるのがふしぎで
引っ越しっておもしろいなあ
住むところをかえるのだ。
生活がかわる
音も空気も
きっとかわってゆく。
帰りに藤沢にひらりと寄ると
お店のなかもすっかり冬もよう。
次のイベントの想像をふくらませる。
ブルー。



2010/11/20 (ウィンターコスモス) 紹興酒大会

いつからかはじまった
紹興酒をのむ会
あいかわらずのおおきなテレビとともに
豪華なお料理とお酒
いまはそこにいないひとの存在が
おおきかったことに気づく。
みんなすこしおとなになったのか
今年はwiiはしませんでした。
月が高くてきれいだなあ
よるになってぼんやり。



2010/11/19 (やまらっきょう) DVD

まっすぐな道を自転車で
てれっこてれっこはしっていたら
追い越したばかりの小学生くらいの少年が
うしろからおいかけてきて
いつのまにか並走している。
てれっこな自転車と
全力疾走な少年の勝負は
やっぱり少年が先にちからつきた。
振り返って勝利のVサインをおくると
少年は息を切らしながら満面の笑みで
離れていく少年をみていたら
これから旅にでもでるような気分をあじわう。
一瞬のできごとだったのに
あの顔が焼きついてはなれない。
なにごとにおいても
おすすめにのりたがるたちなので
あちこちで話すにつれ
映画と音楽の行列ができている。
観たかったDVDが全部貸し出し中で
そんなことあるのか
他のを選ぶ気にもなれず
ぼうぜんと帰宅
今日はあんまりさむくはなかった。
ぼんやりと考えている
じぶんを守ろうとするとろくなことを言わない。
だいじなことを考えていると
いつもぼんやりしてしまうなあ。



2010/11/18 (錦木) 過去のぐうぜん

偶然のはなしはつづく
渋谷であしのなかゆびライブ
のまえに
メンバーのお母さんの数十年前の彼氏が
いつもわたしのウクレレを助けてくれる
楽器屋のおじさんだった
という衝撃の事実が発覚して数ヶ月
ついに本人を会わせるチャンス。
けっこう気軽につれていったものの
彼の姿を見た風間さんの目がうるむのをみて
これはやっぱりたいへんなぐうぜんだ
横で関係のないわたしがうろたえる。
年月を重ねたきもちの重みは
それだけ生きたひとにしかわからない。
ふしぎな縁だなあ、ほんとうに。
ひさしぶりのなかゆびライブ
3人がそれぞれの意思をもってのぞむ
いいかんじのはしっこをつかんだ。
わたしはおわってから
色気についてかんがえる。
今日もひさしぶりの再会や
名前ばかりでやっと会えたひと
あたらしく会えたひと
たくさんのひとの顔をみた。
帰ってきたらからだがぐったり
気づくとパソコンに顔をつっこんでねむっていた。
よくわからないちからをつかった。



2010/11/17 (コリウス) ぐうぜん2

雨の鎌倉を経て
夕方からおいしいごはんとともに
すっかり見慣れたひとと飲む。
おもえば長いつきあいになっていて
昔のツーショット写真でみんなにわらってもらえる。
偶然についてぼんやり考えていたところに
遠くて身近なひとたちのすてきな偶然を
またべつのひとのブログを読む
というかたちでしらされ
ふわりと鳥肌がたった。
もうそれは偶然とよばないのかも
じぶんのつくった音楽が
しらないどこかで聴かれて
なにかがうごくという事実。
音楽をつくって演奏するのは
だれかのそばにいる
ということなのかもしれない。
そっとだったり
会ったことのないだれかだったり
ときにはわかりやすく
となりでうたったりして。



2010/11/16 (ツルニチニチソウ) ぐうぜん

百恵ちゃんのさよならコンサート
その歌唱があまりにすばらしく
からだをふるわせ涙する夜。
そういえば今
サポートを一緒にしている
ひとつ年上のドラムのひとが
こどもの頃おなじ団地に住んでいた
ということがこのあいだわかった。
それはたぶん
ものすごい偶然で
へたしたらおなじ部活の先輩後輩
という可能性すらあったのだけど
あまりにも距離が近すぎて
かえってびっくりしなかった。
それをきっかけにいろんなことを思い出した
団地のおまつりで食べていたもの
おおきなパンチボール
すっぱい梅ジャム
なくなってしまったスーパーマーケット
すこしでもまちを離れる準備をしていると
感傷的になってしまうなあ。
それにしてもこのところ
観たい映画
観たいライブ
聴きたい音楽
読みたい本
訪ねたい場所
会いたいひと
たくさんありすぎてからだがおいつかない!
ひらかれている。



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