2008/06/30 (ハーフタイムデー) ビーサン

そういえば少し前に
鉛筆工場の前を通ったら
えんぴつの芯のにおいがした。
なつかしいにおい。
あのにおいは教室の机の
ほこりっぽいのとセット。
夏には毎日ビーサンになるひとが
わたしのまわりにふたりいて
そのうちのひとりが今日
ビーサンになっていたのをみて
ああ、ついに夏がきたのだな
とおもった。
しばらく会っていないけれど
もうひとりもそろそろビーサンなのではないかな。
ビーサンって文字で書くと
なんだか雰囲気がでないけど
それ以上どうも書きようがない。
くやしい。



2008/06/29 (聖ペテロの祝日) 六本木はまた雨

ひさしぶりの演奏をみた。
たいていは右の背中から
たのもしく鳴っている音なので
たまに正面からみるとおもしろい。
パソコンを駆使したライブ
そのものはとてもおもしろいのだけれど
やっぱりベースを弾いてほしい。
にやりとするから。
ひさしぶりといえば
雨がどんどこ降っていて
ひさしの裾に水の粒がいくつも
右へ左へゆらゆらとして
たまらずおちていくところを
小学生のころは熱心に眺めていた。
さっきずいぶんひさしぶりにそれを
ふと見つけてびっくり。
この何年もそのことをわすれていた。
なんだかよく
すきだったことをわすれているような。



2008/06/28 (雨の特異日) はしご

ちょうどタイミングがあって
横浜で一軒
川崎で一軒
おさけをのむ。
できるかぎりなにかのおさそいは
ことわらないようにしよう
とすこし前に決意した。
意外とむずかしいのだけど。
カリンバという楽器を持ってみて
とてもすてきだとおもうのは
はじいているあいだじゅう、ずっと
ねむっているような
波間のような
雨のような
からだを離れてゆれているような
でもそばにいるような
ほかの楽器ではならない
なんともいえないきもちにさせられること。



2008/06/27 (日照権の日) 毎日

大阪に越したともだちが一時帰還。
すこしさびしそうだけれど元気でよかった。
毎日はおなじということはない。
見たりきいたり触れたりするうちに
なにかを受け取ったりして
なかみがどんどん入れ替わって
埃のように舞い上がってまた落ち着いたりして
そうやっていることがまた
だれかになにかを渡すのなら
それはなんだかとても
すばらしいことのような。



2008/06/26 (露天風呂の日) もんだい

おかげさまで近頃すっかり
夜更かしが板についてしまった。
奇跡的にのどいたは来ていないもよう。
窓を開けて寝るのが予想以上の効果をみせている。
今日も帰るとパソコンの上に
ひまわりの種がおいてあった。
わたしに種を託してくれる
みんなの期待にこたえたいのだけれど
じつに腰がおもい。
今からまいたらかわいそうかな。
この数日急に
いくつかのことをつきつけられて
ぐるんぐるんとあたまが回転。
しかも毎日を左右するような
たいへんな問題にかぎって
すぐに答えをださなければならない。
そういうものなのです。
のんべんだらりと生きることはむずかしい。



2008/06/25 (住宅デー) 花見

おすすめにしたがうのがすきなので
今年は水元公園に菖蒲をみに出かける。
このところずっと気になりながらも
ふられっぱなしだった蓮の花が
ついに咲きみだれていた!
こころの準備ができていなくてあわてる。
どうやら蓮の花というのが
ずいぶんとすきなようで
いつまでも見ていたくて
どうして今まで全然気にしていなかったのだろう。
そういえば菖蒲を見に来たのだった
とふと目をやるけれど
薔薇とおなじくみんなすごい名前がついていて
看板ばかりをしげしげと眺めてしまう。
途中、鳥と風の音にぼんやりしていると
おじさんに話しかけられて
麦と蕎麦のおもしろい話をきく。
折にふれみんなに話すとおもいます。
水元公園は、とても大きな池のほとりにあって
対岸はさいたま市の公園らしく
むこうまでの距離はたいしたことがないのに
橋などがないので
いつまでたっても向こうには渡れない。
あんまりこういう思いをしたことがなくて
なんで渡れないのだろうと首をかしげる。
柴又帝釈天にお参りしてから
夜はひさしぶりのミツワに寄る。
あいかわらずの盛況ぶりで
相席のふたりとやっぱりもりあがる。
わたしたちのような若造たちが
ああいうお店にふらふらと入るのは
すごくすきなのだけど
どこか失礼な気がしていて
それでもみんなあたたかく迎えてくれることが多く
とても安心する。



2008/06/24 (UFOの日) ことば

はなすことは
とてもたいせつ。
いくらことばをえらんでも
完璧なことはないし
らんぼうにはなしても
じわりとつたわることがある。



2008/06/23 (オリンピックデー) 録音はじまり

あたらしい録音をはじめる。
といってもどうにもこうにも
作業面でままならないことが多くて
あたまをかかえる。
反面、すてきなものが出来上がるような
気はしっかりとしていて
なんとかやってみようとおもう。
それにしてもわたしは
小さい頃から歌謡曲をたくさん聴いてきて
今またうたうたびに
わたしの音楽に対する美意識は
ここにはじまっているのだとかんじる。
美意識
ということばは最近おぼえて
ときどきつかってみているもののひとつ。



2008/06/22 (かにの日) あれこれ

機械はたいへんだ!
もういやだ!
と始める前からすでにぐったり。
そうも言っていられないのでがんばる。
たしか機械によわくはないとおもうのだ。
そういえば電話を切るときには
どちらかが会話を終わらせる気配を出す必要
があることを知る。
そういうことっていうのは
みんなじつに自然にこなしていて感心。
暗黙の了解に似ている。
それにしても今日のような日に
傘を持たずに出るのは
いくらなんでも無謀だったようです。
雨がどんどこ降るので
めんどうながらもひと安心。



2008/06/21 (スナックの日) 黒電話

夜中のうちの雨がずいぶんたくさんで
朝通りを歩くとしっとり。
もう止んでいたけれど
あじさいがきもちよさそうにみえる。
またさば熱が再燃。
話しているうちに
そういえば黒い電話だったなぁ
と急におもいだす。
じーころろ
のダイアル式。
あの頃はキャッチホンなんかがはやったりして
ボタンの半押しに失敗して
通話が切れたりしていたのだった。
なつかしい。



2008/06/20 (健康住宅の日) 六本木

雨降らずとも霧ふかい今日。
東京タワーははんぶんに。
深い霧はたまにしか見ないけれど
どことなくこわい。
そういえば楽器をもたずにうたをうたうのが
けっこうひさしぶりで
このよさをかみしめる。
いろんなものが行き来して
おもしろい演奏になった。
思い描くこと
組み立てること
えらびとることへの興味。



2008/06/19 (元号の日) ソロピアノ

そういえばピアノを
単体で聴いたのはずいぶんひさしぶりだったし
あんなにふたが大きくひらいているのも。
慣れるまであたまがくらくら。
一曲全然しらないなと思う曲があって
あとからそれが
演奏すると前もってきいていて
たのしみにしていた曲だった
と知りがくぜんとする。
いったいなにをしていたのでしょう。
とにかく聴きにいってよかった。
感想をことばにするのはむずかしい。
マスターがだれかに似ているなとおもったら
ボウリングをおしえてくれるおじさんだった。



2008/06/18 (海外移住の日) 満月

月がまんまる。
満月の日は出歩いてはいけない
とむかし巣鴨で言い渡されたひとを
ぐるぐるとつれまわす。
ちからがおちるそうです。
ひさしぶりにナイターを観戦。
ロッテの応援歌はリズムがむずかしくて
なんだこの拍は!
とか理解しようとすると
ぜんぜん流れに乗れないので
てきとうにうたってしまうに限る。
そこらじゅうで崎陽軒のシウマイがみえかくれして
それはごくあたりまえの風景なのだけど
ここだけのものなのだと最近ぴんときた。
たまに食べると妙においしい。
観戦にはもってこいの季節。
みんなでナイターにいこう。



2008/06/17 (薩摩の日) ドリーム

ドリームを名乗るだけあって
そうかんたんにはあたらないのだった。
宝くじのはなし。
急にウクレレからいい音が出るようになった。
がぜんはりきる。
買い物とやることリストをつくる。
というようなことをしていたら
昨日つくった歌詞がとつぜんしっくりときて
ひと安心。
今日はとつぜんすっきりする日のよう。
いつもこつこつがんばっているひとが
いよいよ大役をまかされそうになっている。
わたしもひとつお役にたちたいけれど
どうなることでしょう。



2008/06/16 (ユリシーズの日) 夏がくる

ふと外にでると
海のにおいが濃い。
ときどきこういうことがあって
たぶん風向きのせいなのだけど
それなりにうみぞいに住んでいることをおもいだす。
夏がくる。
今日はみょうがを克服した。
少し前から、口に入れるのに抵抗が減り
なんとなく魅力がわかってきていて
チャンスを逃すなーとばかりに食べてみた。
うまい!
ひさしぶりの克服に
夏に向けてたのしみがふえる。
ウクレレぽろん。



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