2005/10/15 (十三夜の月) そらに

知り合いによく似たひとを見つけて
それが本人かどうかなかなか確認できないのはとても
とてもつかれる。
そしてなんだか笑ってしまう。
確認できない理由はいろいろあって
たとえばすごく遠目に見ているからだったり
すぐ話しかけるほどには仲良しでなかったり
もともと顔の記憶があいまいだったり。
そしてそれが本人であってもなくても
わかったことによってとてもすっきりする。
あのわからない間のもやもやは
いろんなものを凌駕してそこに居座る。



2005/10/14 (世界標準の日) 粒子

白い風船が空に舞い上がった。
ああっと思って出発点を探すと
女の子がかなしくなさそうに笑顔で手をふっていた。
でもちょっと名残惜しそうだった。
風船はどこまで昇るのかふと気になって
見えなくなるまで見てみることにした。
曇り気味の夜空にぐるぐるまわりながら
白い風船はどんどんと昇った。
ずいぶん長い間凝視していると
目がしょぼしょぼしてきた。
何度か見失った気がしてはまた見えた。
そのうち空が粗い粒子の集まりに見えてきた。
それに気をとられているうちに
ぽつんと小さくなった風船は見えなくなってしまった。
よくわからなかったなぁ。



2005/10/13 (さつまいもの日) 子は子

かんざしを二本買った。
かんざしはどんなに気をつけていても
いつのまにかなくなってしまうものと悟ったので
たくさん持てば悲しみが薄まるかもしれない。
と自分でもあまりそう思えないことを言ってみたら
「何人いても子は子だよ」
とてもぴったりな答えが返ってきた。
その通りだとおもう。



2005/10/12 (大陸発見記念日) AB型

昔からちょっと気が向くと妙に凝ってしまうところがあって
それはわたしと弟の共通点でもある。
さっき、車検代をふたりで積み立てることに決め
ひとつき2000円を入れる集金袋を
つくることにした。
期限は毎月末と決めた。
茶色の封筒を探して、毎月分の枠を書き
入れたら毎月そこにサインしてください、と言うと
判を押すことにしようと弟が言う。
しかしわたしたちはふたりとも同じ苗字なのだ。
指摘すると弟は氏名の判を持っているというので
それならわたしは苗字だけのを押してもいいよね、というと
おこられた。
そんなことにこだわらなくても。
と思ったけれど結局おもちゃの名前はんこを使うことにした。
名前が入っているならそれでいいと弟は頷く。
こういうことをふたりでしていると
それをみている母はいつも
AB型ってそうなのよねぇ
と言う。
血液型の問題なのかなぁ。



2005/10/11 (リンゴの唄の日) 慣れない

おたんじょうびにひとつだけ悲しかったのは
かんざしがまたひとつ旅に出てしまったことだ。
かんざしは沢山売っているので
えらびにえらんでひとつ買う。
そしてそのひとつをなくし
別のひとつをまたえらびにえらんだ。
なのにまたなくなってしまった。
あたまのてっぺんに載ったおだんごに
刺さったかんざしはずいぶん遠く
あまり意識にないのでなくなってもなかなか気づかない。
でも気づいてしまうととても悲しい。
また買うべきなのか、まよう。
とてもすきなのに。



2005/10/10 (冷凍めんの日) 当日

当日になると
いつもの休日とおなじように
たくさん喋りながらたくさん歩いた。
いつものお店にひさびさに顔を出すと
いつものひとがあたたかく迎えてくれた。
そのひとはとても記憶力が良くて
わたしの名前から、やっているバンドの名前まで
しっかりと覚えてくれている。
たまにしか行かないのに、あのひとは
いったいどれだけのひとのことを覚えているのだろう。
夜はてづくりのニョッキがそっと目の前に置かれ
ひそかに念願だったニョッキに驚き
かんげき。
いつもさりげなくびしっとつぼをつかれる。



2005/10/09 (道具の日) 前夜

ソンベカフェでのくすりゆび。
今回もゆるりと気持ちよくうたった。
今日は誕生日前日ということで
なんと祝ってもらってしまった。
あまりに動揺してよくわからないことを言ったけれど
あとからあとからじんわり来た。
この日のためにお祝いのうたを作ってくれたひと
ケーキを焼いてくれたひと
花束を用意してくれたひと
プレゼントを持ってきてくれたひと
あの場で一緒に祝ってくれたひと
そしてこっそりうたの練習をしてくれた共演者のみんな
みんなみんなに、ありがとう。
それにしても先を越されてしまった。
生きているうちにすてきな日本語の誕生日うたをつくるのが
わたしの夢なので。
でも録音をきいても、譜面をみても
あたたかくてにっこりする。
なんてしあわせな前日。



2005/10/08 (骨と関節の日) 電気

なにげなくネットでいろいろ見ていると
ホテルルワンダ
という映画のことが目にとまった。
この作品の日本公開をもとめる会が発足していて
つい最近、その活動を見つけた配給会社によって
買い付けが成功したらしい。
気になっていろいろ読んでいたら
すっかり見たくなってしまった。
こんなふうにたくさんのひとがその気になって
実を結んでしまったのだろう。
こうしてわたしがここに書いたら
これを読んだうちの誰かが気になって
またひとり、みたいひとが増えるかもしれない。
いつのまにかわたしたちの生活には電気がしみわたり
距離感がかわった。
知らないひとがすぐ返答をくれたり
遠い国のひとがちかくに感じたり
近くにいるはずのひとが相手でも
待っている連絡がちょっとこないと
無事を信じられなくなったりする。



2005/10/07 (ワイシャツの日) わけ

何故そのコップを買ったかというと
牛乳のためにあるようなコップだったからだ。
少し前に100円のカップアイスを買って
そのまま食べるとそういう味なのに
お皿に丁寧に盛って食べたら
なんだかとてもおいしかったのだ。
だから気分は大事。
と思った矢先にそのコップを見つけて
これで牛乳がよりおいしくなるかな
とおもったのだった。
実際けっこう良い雰囲気。



2005/10/06 (土の日) ひとのくせ

びんぼうゆすり
というのはよくできた名前だとおもう。
びんぼうゆすりをしている人をみると
なにをそんなにいらいらしてるのだろうとか
あまり良い印象は持たない。
その行為自体のもつ印象はもちろん
名前がことごとく良くないかんじだから
という気もけっこうする。
びんぼうゆすりは視界のすみっこで起きていても
とてもとても気になる。
きっと無意識なのだろうなぁ。
やめろって言えないけれど、やめてほしいかもしれない。
それにしても今日は身のまわりのいろいろを
整えた日だった。
そしてこころひかれるコップを見つけたので
ふたつ買ってひとつおすそわけをした。
牛乳の似合うコップ。



2005/10/05 (折り紙供養の日)

癖というものはすてきだとおもう。
頭じゃないどこかが覚えていること。
昨日の夜ぼんやりとキッチンに行くと
用を済ませて手を高らかに挙げた。
電気を消そうと。
でもそれは前の家のとき
電気のスイッチがぶらさがっていた頃の仕草で
今のキッチンは入口の壁にスイッチがある。
今更そのときの癖が出た。
そしてふふっとわらってしまった。
そういえばあの家に住んでいた頃
キッチンに行った終わりには必ず手を
高らかに挙げていたものだった。



2005/10/04 (イワシの日) ふゆ

冬がすこしずつ近づいている。
かとおもうと暑くなったりしているけれど
吹いている風はもう夏ではとうていなくて
夜になると冬の気配があちこちにする。
もうがつがつ歩いてもつらくない。
そんなこんなで
気がつくと今年もあと3ヶ月をきった。



2005/10/03 (登山の日) こどもだらけ

いつもとちがう時間に家に帰ると
マンションはこどもだらけだった。
いつも朝夜遅い時間にしか動かないから
わたしとこどもたちはほとんど接点がない。
このマンションにこんなにたくさんこどもがいたなんて
今日まで全然しらなかった。



2005/10/02 (望遠鏡の日) のむ

あんまりひさしぶりだったから
わたしたちのことを覚えていてくれてうれしかった。
そこにいるひとたちは皆げんきそうで
来てよかったとおもった。
おいしいごはんとおさけをたらふく
しあわせだなぁ。
そして今日は今年初の誕生日プレゼントを貰ってしまった。
くり。
どうもありがとう。



2005/10/01 (赤い羽根の日) かつ

今日はきびしく働いたので
ひとを待つあいだに
ごほうびとしてひとりでとんかつ屋に行った。
少し前に初めてひとりとんかつをしてみたら
意外と平気だったので
今回はどきどきせずにしっかり行った。
でも油断するとすぐキャベツや
みそしるのおかわりをすすめられるので
隙を見せずに食べる。
あれを断るのはむずかしい。
にこにこしても、しかめっつらでも
なんかへんだ。
そういえばむかしかつ茶漬けがだいすきで
よく食べたのにお店がなくなってしまった。
どこかでたべられないかなぁ。



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