2004/12/15(観光バス記念日)ディライト

お昼おそくによく来てくれるそのひとの
お気に入りの席は今日も空いていた。
でもちらりとそっちを見てからそのひとは
すこし離れた別の席に着いた。
理由はすぐにわかった。
そのひとはたばこをたくさん吸う。
いつもの席のとなりにはおなかのおおきな女のひと。
それはもしかしたらあたりまえのことかもしれないけれど
やわらかくてうれしい。



2004/12/14(南極の日)話す

抱えたおもいをことばにするのは
とても難しいから、だからこそ
もやもやしているものを話そうとするうちに
なんだか輪郭がつかめてきたりする。
やるべきことがすこしみえてきた。
どうもありがとう。



2004/12/13(ビタミンの日)今日も

なにも決まらないままいちにちが過ぎた。
いつまでも甘やかしていてはいけない。
そういえば昨日はじいちゃんの還暦祝いをした。
ひさびさに父母弟祖父と五人そろって
そういえばこうして集まることが減ったなぁと気づいた。
なによりもびっくりしたのは
自分でも覚えていないようなわたしの
小中学生のころのことを三人はずいぶんはっきりと
そろって覚えていたことだった。
そうしてわたしも忘れていたことをずいぶん思い出した。
それにしてもついに60歳になったじいちゃん。
ずっと若い若いと思っていたけれど。
これじゃわたしだって大人になるはずだ。



2004/12/12(バッテリーの日)ぐるぐる

とにかくそのひとがこころをうごかしてくれたこと
そのことばになったものを読んだら
まさにそれはわたしのそうありたいとおもうかたちだった。
そしてわたしだってあなたに
負けたくないくらいうたがすきだ。
今くるしんでいることの一部分を
きもちよく崩してもらったような気がする。
いろんなことがいっぺんに思えて
でもきっとすこししあわせなかんじになってきた。



2004/12/11(胃腸の日)出会い

今日はとてもとてもとてもうれしいことがあった。
ずっと前にお店のブッキングで一緒になった
ひとがライブにあそびにきてくれたのだ。
そのひとは帰りがけにギターを抱えて
見ていたらうたいたくなったから
そのへんで少しうたってから帰ります
と言った。
すてきなライブをみるとわたしもそういう気持ちになるので
そのことはすごくうれしいちからをくれた。
そしていつもかわらず見に来てくれるみんなが
いてくれることも。
初めてのひとによかっとわらってもらえることも。
ささやかでも、続けていてよかったと
こころからおもえる。
うれしい一日だった。



2004/12/10(三億円事件の日)じゅんび

たまに学校に行くと結構知っている人がいて
ひさしぶりのひとに会えたりするとすごくうれしいのだけれど
やっぱりわたしはここではないのだなとあらためておもう。
それにしては行く機会が多い。
あたらしい曲はわたしのなかでは
なんだか冬の薄いそらが似合うかんじがしていて
うたいながらにこにこしてしまう。
だってわたしはあのそらがとてもすきで
思い出すだけでもにやりとしてしまうときがある。
たのしみだなぁ。



2004/12/09(障害者の日)ロミオ&ジュリエット

舞台をみた。
大きなちからの塊をなんどもぶつけられて
悲劇にではなくひとびとのかがやきに
涙が出た。
どうしたらあんなふうに剥き出しになるのだろう。
まわりくどい台詞の奥に
あまりにもはっきりしたものがみえるのだから。
話の過程も結末もすべてわかっていて
それでもみんなくりかえし惹かれるのだから。
今日は今度こそ冬のにおいが濃厚で
重たくて夜になっても消えなかった。
きらきら。
ああ、いいなぁ。



2004/12/08(御事納めの日)いちにち

しまったなぁ。
ここにあまり書いてはいけないとおもうのに。
またやってしまったのだった。
それはさておき今日はともだちたちにばったり会えたり
別のともだちとそのお母さんが一緒にお店に会いにきてくれたりして
とてもとてもにこにこしてうれしかったし
そのふたりがまたそっくりですてきだった。
おかあさんも同じようににこにこ勢いよくしゃべる。
今日はバイト先の開店10周年記念日だった。
十年もそこにあることはすごいことだ。
そのうちの三年に加担していると思うと
我ながらそれはそれですごいと思うのだった。



2004/12/07(クリスマスツリーの日)たいせつな

メールが一通、とどいた。
そのひとはやっぱりわたしの持っていないことばを
たくさんもっているから。
すこしもまとまらないおかしな呼びかけにも
ひとつひとつ真剣に応えてくれたのがわかった。
なんども読み返して、そしてこれからも
なんども読み返すとおもう。
「シンプルに、
音の鳴るほうへ。」
冗談めいた文章の隙間からのぞいた
そのひとことはたしかにわたしのこころを掴んだ。
まだすべて晴れはしないけれど、それでも
たいせつにしまっておきたいことばばかりだった。
ああ、こまったな。
また貰ってしまった。



2004/12/06(音の日)にじょう

今日も富士山が綺麗だ。
そういえば未来の贅沢リストがまたひとつふえて
もし自分でおうちを持てる日が来たら
二畳の部屋をこっそりとつくる。
籠ってなにか作業したり
ものおもいに耽ったりするのに
二畳という広さがぴったりだと確信したのだ。
わかりやすく畳張りで二枚にするとなおよい。
ゆめひろがる。
それにしてもなんて
なんて一日がながいのだろう。
時間がすすんでくれない。



2004/12/05(国際ボランティアデー)世界

ひとつ、起きたことによって
いろんなものの見え方が変わってくるときがある。
それまでかがやいて見えていたものが色褪せたり
逆になんともおもっていなかったものに惹かれたり。
それは今までもそこにあって
これまでと同じように過ぎてゆくものなのに。



2004/12/04(血清療法の日)決断と

なにかを変えようという決意には
とんでもなくおおきなちからをつかう。
そのおおきさを目の当たりにするたびに
のみこまれそうになっては踏みとどまる。
気づいていなかった。
いまあるものを守ろうとするばかりだから
その先を掴みとることができない。
なくすのがこわい。
だけど。



2004/12/03(奇術の日)空白

会えない時間を埋めるものは
会いたいというきもちだったり
おおくもすくなくもことばだったり
迷いだったり
する。



2004/12/02(原子炉の日)ふゆ

だんだん正しい冬になってきた。
と、あるひとは言った。
そんな気がしたのでパソコンをするとき用の
ひとりこたつを引っ張りだしてみた。
うん、なってきた。
今日はずっと気になっていた課題をひとつ
ようやく完成させた。
すっきり。
それにしてもキャロルキングのうたの
あのよくわからないけどすごい説得力はなんだろう?
きっぱり。



2004/12/01(映画の日)ゆれる

ぐるぐると体の中にためこんで
つらくなったらため息を吐きだす。
思考にふけるといつもそうなる。
でもいつもなにもかんがえていないのだから
たまにはぐぐっとかんがえなければならない。
きりきりとした痛みもそのうちわすれる。
今日はおともだちのおいわいをした。
うれしいな。
うれしい。



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