2004/09/30(くるみの日)

箸はすごいなぁとよく考える。
とくにごはんをフォークやスプーンで食べることを
強いられてしまったときによく考える。
箸のすごいところはべつべつなところで
鋭利なところで
動きが独特なところだ。
箸はたいていものをつまむことが多いけれど
魚を食べるときなんかは逆に
軽く刺してからこじ開けるようにひらいたりする。
この動き!
これはべつべつでないとできない。
しかも汁物を受け付ける気がまったくないとおもう。
強気だなぁ。
なんにしても箸を操れる自分でうれしい。



2004/09/29(招き猫の日)6卓さん

今日の午後コーヒーを飲みにきたおじさんは
川崎によく居るちょっと汚れた感じの
競輪競馬新聞片手な雰囲気のひとだった。
でもテーブルに置いたのは、KORGのパンフレット。
うわぁ。
気になってちらちらと様子をうかがっていたら
有隣堂の、細長い紙の袋から
買ったばかりらしい黒のボールペンをとりだして
なにやらその袋の裏に書き込んでいた。
下げものついでにちょっとのぞきこんでみたら
そこに音符を書いていた!
うわぁ。うわぁ。
さらにしばらくして見てみるとタイトルがついていた。
「雨がやんだら」。
うわぁ。うわぁ。うわぁ。
だってそのとき外では大粒の
雨がぴしゃりと地面を打っていたのだ。



2004/09/28(中秋の名月)かけら

働きながら何気無く会話に耳を傾けていたら
その片隅にひっかかったことばがあって
それがきっかけになってずいぶんとまえの
なつかしい光景をおもいだした。
それはあたたくてくすぐったくて
今でもあざやかによみがえる。
そういう記憶をもっていられたら
いつだってしあわせな気分になれる
かもしれない。



2004/09/27(世界観光の日)西荻窪

はるばるでかけてわいわい。
そこで言われてみて気づいてしまったことは
おなかの右の方をたたくと空洞のような
左の方をたたくとつまったような音がする
ということ。
四人いて四人そうだったのだから
きっと誰でもそういう音なのだろう。
なにがつまってなにがからっぽなのかなぁ。
それにしても西荻はのどかで
今度はもっとがっつり探検してみたい。



2004/09/26(伊勢湾台風の日)路上2

いつもうたうときにはだめだとおもいながらも
一緒にいるみんなの方ばかり向いてしまう。
だからたまにふと前を向いたときに
おもっていた以上にたくさんのひとがそこに
あたたかいまなざしで立っていてくれたことが
驚きでありよろこびであった。
語りかけられるようになる日が早くくるといい。
ほんとうはこわいことなんて
きっとすこししかないはずなんだ。
ちゃんと前をみていられたら。



2004/09/25(10円カレーの日)路上

外の空気を吸って空をみて
湿気にまみれてライブをするのも。
知らないひとがたくさん笑顔に変わってゆくのも。
すごいちからが働いているのだとおもう。
その作用で演奏だってぐっとかがやく。
たのしいなぁ。
ほんの少しずつだけれど、自由になれる瞬間が
増えてゆく手応えがうれしい。
どろどろに溶けあう瞬間が
もっともっと増えるといい。



2004/09/24(清掃の日)再会

お気に入りの緑ジャージを
買ったお店をひさしぶりに訪ねたら
おなじおにいさんがいて。
わたしのことをおぼえてくれていたみたいだ。
こういうつながりかたもあるのだなぁ。
なんだかうれしいな。
今日はあまり寒いわけではなかったけれど
雨の匂いがもう夏ではなくて
なつかしい冬の匂い。
また季節がいれかわるんだ。



2004/09/23(万年筆の日)すきま

その存在は長いことわたしに寄り添って
わたしの生活のすみずみにまでゆきわたっていて
そうでなかった自分を思い出すことが
まだちゃんとできない。
どこへ出かけても大抵そこには思い出がある。
ひきだしを開けてもあるし
ごはんをたべてもあるし
風が吹いても
ストレッチをしても
うたをうたおうとしても。
それでもわたしは選んだのだから
この隙間とどういうふうにつきあうのか
少しずつ探ってゆく。



2004/09/22(孤児院の日)縁日

夏の間、毎月2のつく日は近所の商店街で
ささやかな縁日がおこなわれる。
今日ひさびさにそんな時間にその場所をとおって
もう8年ぶりくらいにそこで縁日をみた。
それはおぼえていたよりもずっとささやかで。
でもあの頃は2の日がくるのをたのしみに
夏がくるのをたのしみに待っていた。
なつかしいなぁ。



2004/09/21(ファッションショーの日)どれどれ

ずいぶん前に気になっていた
読売新聞のキャラクターの名前が決まったという。
ふきだしには大きく
「ボク、どれどれです。」
ということらしかった。
どれどれ。
という名前になったらしかった。
なんだかうたってしまいそうだ。
そしてボク、なんて言っているけれど
やつが何者なのかは結局
わからないままなのだった。
あのちょびちょびは。
あのよくわからない物体は。
ああ、なにひとつ釈然としないよう。



2004/09/20(空の日)渋谷

ひとつ何かを得る為には
ひとつ何かを手放さなければならないのかな。
そんなことはないと思いたい。
でも微妙なところでバランスがおかしい。
こころから吐きだしたことばは
いつもより少しはちからをもったのだろうか。



2004/09/19(苗字の日)衝撃

今日はバイト先におともだちが何人も
たずねてきてくれてとてもうれしいかんじだった。
夜見にいったライブはすごいうたごえで。
衝撃。
でももっと衝撃だったことがあって
トイレに入ったら便器のふたが勝手に開いた!
センサー式らしい。
それは余計なお世話だよぉ。



2004/09/18(かいわれ大根の日)おもいと

ちくりと胸を刺すものがあっても
それを悲しんではいけない。
痛がって涙を流してはいけない。
それは抱えていなければならないものだ。
そうでありたいと願う。
わたしのことばのどこかが不用意に
傷つけていないようにと願う。



2004/09/17(モノレール開業記念日)ストライキ

プロ野球のストライキ突入が決まった。
ずっと涙をこらえているような古田選手の
きもちはきっとみんなに伝わっているのだと思う。
でもむずかしい。
ファンの賛否両論の声を厳しい顔で受けて
なんどもなんども謝罪のことばを口にして。
そのたびに心がゆれているのが見える。
古田選手がプロ野球を夢見ていた頃
こんな日が来るなんて思ったことがあったかなぁ。
たくさんのひとに愛されているものだからこそ
あのひとはすごく重いものを背負っている。



2004/09/16(マッチの日)疑問とこたえ

うちのお店の壁際の席はソファになって
四人掛けのテーブルの半分がソファ、半分が椅子。
ひとりでそのテーブルにつく人は
まず間違いなくソファ側にすわる。
なのに今日、ひとりで来た男の人が
そのテーブルであえて椅子にすわった。
かわったひともいるものだ、と思っていたら
20分くらい経って、なぜだかわかった。
女のひとと待ち合わせだった。
遅れて、小走りで入ってきたそのひとは
ちょこんとソファにすわった。
そんなふたりがなんだかすてきで、
とてもうれしかった。
よかったぁ。



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